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2011.4.24
震災の影響で岩手県高校総体の開催も危ぶまれましたが、 4月22日、23日 県高校総体卓球競技の北奥地区予選会が開催されました。
タミさんの曾孫の1人は水沢高校卓球部。タミさんは体育館に応援に。 パチパチ |
しばらくぶりで体を動かそうと台所にたちました。
大根を切ってお味噌汁つくり。
美味しくいただいた後、体の調子を整えるために、足を動かしたり、おなかをさすったり
1時間ほど椅子に座って目を閉じながら黙々と体操をしているタミさん。
自分の健康は自分で、という逞しいおばあちゃんです。
写っています。
タミさんの街「石巻」の様子も・・・2011.3.21
被災時の日記を付け始めました。
裏紙に虫眼鏡を使って思いだし思いだし
書いています。
さて、どんなことが書かれていますか。。。。
2011.3.17
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タミさんは石巻にいました。
あの日 2011,3,11東北を襲った大災害の日です。
揺れの後、長男の鉄太郎と車で住吉中学校に避難しました。
その後、大きな津波が襲ってきたのです。
タミさんはまさか避難するとは思わなかったそうで、のんきに車にのりました。
その後、お位牌を取りに鉄太郎は家まで戻ったのですが、知り合いが畳の船に乗って寄ってきて
「てっちゃん乗らい」と。畳は水に浮くのですね、鉄太郎は友人の畳船で移動。。。
町内の人は住吉中学校が決められた避難場所。
200人ほど廊下に寝ていたそうです。タミさんは友人と一緒に座りました。
2日後、孫たちが中里小学校にいる事がわかり、鉄太郎と一緒に歩いて移動。
泥道は親切な人におんぶしてもらったそうです。
移動後 図工室を与えられ孫家族と陣取ったそうです。
長女の洋子は、タミさんが高齢なこともあり、水沢に連れてきたいと願っていましたが、
道の状態もわからない状況ではそれもままならない事。
4日目には鉄太郎からSOSが。「タミさんを連れだせないか?」
洋子は満を持して、ガソリンを満タンにした軽自動車に娘婿の次郎と孫の悠太郎を乗せて出発。
途中親切な人に道案内をして頂き、無事中里小学校に到着。
迎えに行った洋子が叫んだ「近江さーん」 使っていたあのジェラルミンの
パン焼器に会えた瞬間の
にっこり笑顔。
96歳でまた一つ
歴史を見たタミさんでした。
まだ、被災地にはたくさんの人たちが
頑張っています。
頑張れ日本!頑張れ東北!!