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【タミさんのパン焼器】徒然のタミさん
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女3代集まってタミさんの若かりし頃の話に花が咲く・・・


集まったのは以下の面々。左から 

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タミさん       長女の洋子さん   次女の節子さん    洋子さんの長女・孫の久仁子さん

 

タミさんは宮城県柳津(現在の津山町、北上川沿いの町です)生まれ。

c587e4c9.JPGタミ : 私はね、県立登米高等女学校の第1期生なの。テニス部。
     柳津(やないず)から登米(とよま)まで4,5km位あったけど
             袴をはいて歩いて通っていたの。
     自転車に乗りたかったんだけどね。
     「佐々木屋(実家)のおてんばがまた始まるぞ!」
     って近所から言われるからダメ!と言われて乗れなかった。
     未だにどーしても自転車に乗れない。
     自転車にさえ乗れたらなー。と思うんだけどね。

 
全員 : ・・・いや、今乗れなくてもいいから・・・
 
タミ  : 2年生になったとき 蒸気船が出来たのね。
               冬以外の通学はこれで行けた。 
               (北上川を船で通ったわけです)
      船の中で歌の練習をして皆に教えたんだよ




節子 : それで学校でしかられたんだよね

久仁子: 何の歌?

タミ  : 「人を切るのが さむらーいなぁらぁばー」って歌
      学校の先生から呼び出しがきたのよ。


全員 : ・・・



タミ  : 私がね20歳のとき(1934年、昭和の初め頃)親戚の“ことちゃん”が結婚話を持ってきたの。


久仁子: ふーん。

タミ  : しばらくしたら、嫁入り先(近江家)の旦那さん夫婦“林兵衛・ハツヨ”の二人が
      私を見に来たのよね。
      何だか私は洗濯かなんかをして働いていたのよ。
      その働きっぷりが気に入ったと、ここで話はまとまったのよ。


久仁子: 旦那さんになるおじいさんとは合ってないの?

タミ  : それはね、旦那さんになる予定の人の同級生だっていう人から土手に呼びだされたの。
      私は私を見に来た友達だと思ったのよね。
      後から本人だったとわかったのよ。

節子 : あら!馬に乗った勤さん(タミさんの夫)に逢ったんじゃなかったの?
      今までそう思っていたんだけど!!!

久仁子: ・・・節子おばちゃんの勝手な勘違いです・・・

タミ  : 私の父もね、石巻の店にお忍びで行って勤さんから領収書をもらって
      文字のチェックをしてきたのよ。
      合格だったらしい。
      お正月前にお嫁に来てほしいといわれたんだけど1月19日に結婚式をしたわけよ。
      どの人が旦那さんかわからなかったわ。

久仁子: どんな感じだった?

タミ  : 柳津(実家)は田舎だったので、電話がなかったのね。
      嫁ぎ先は店をしていたので、電話をかけるのが一番いやだったねー
      光子おばちゃんは威張るしねー。

全員 : ・・・納得!



      
節子 : 実家はどうだった?

タミ  : 成人式の記念にお父さん(源治)が出張に一緒に連れて行ってくれて、
      歌舞伎を見せてくれてね、大島でラクダに乗せてくれたのよ。

全員 : ・・・ラクダ???

タミ  : お母さん(タミさんの母の“やすの”さん)は家庭教育が厳しくて、
      板目拭きから雑巾の絞り方から厳しくて、よそに行ったら困るってねー。

久仁子: そして厳しいハツヨさん(シュウトメ)に突撃ですか?

タミ  : ハツヨさんは近所で評判のキツイ人だったので、皆から私は注目されていたわけよ。
      餅つきにアイドリって言ってコンビネーションが大事なつき方があるんだけど
      それを私がやったのね。これで皆に感心されて評判の嫁になったのよ
      
      何でもかんでも ハイハイ!これが出来ないと嫁として恥。
      
      何時か何だったかで、ハツヨさんに意見した時に 
      「あんた何時から姑に説教する様になったのっしゃ?!」と叱られたことがあってね。
      
      竹を割ったような性格の人だったから、まず「そうですか」と受け止めて
      後で「こうだったよ。」と伝えるほうが良いとわかったのね。
      皆に言うけどね、
      【3分間こらえなさいよそっちもこっちも落ち着くからね。】

洋子 : で、表彰されたんだよね。

タミ  : そうなのよ。嫁姑の仲良し表彰をされたのよ

全員 : ・・・感心・・・

タミ  : そういえば洋子が生まれたお七夜でお赤飯をお祝い返しに炊いたらね、
      たっくさん作ったんからかねー、釜が溶けたよ。

全員 : ・・・ありえないんですけど・・・


節子 : そういえばお母さんお料理もハイカラだったよね。当時としては。
      クリームシチューにアワビが入っていたものね。

久仁子: えっ?

タミ  : カレー粉はあったのよね。粉を炒ってカレーを作ったね。
      魚のすり身ハンバーグはかつおを茹でてなまりにしてほぐしてたまねぎと混ぜるのよ。

久仁子: パン焼は?

タミ  : 終戦後だねー。
      8月20日の終戦のとき 林兵衛は陛下の放送を聴いて花瓶を2~3個投げたね。
      息子が2人戦死していたからね。
      戦争に店の従業員が招集されて商売は出来なくなってね、店を酒屋に貸したのね。
      
      戦後呉服屋さんが金物を売ったりしてたんだけど、その中にパン焼器があったのね。
      粉は配給でかぼちゃやサツマイモを入れたおやつとして作ったの。


久仁子: おじいちゃん(勤さん)は?
 
タミ  : 久仁子をうんとかわいがってね、あんたが2歳の時、水沢駅で洋子(久仁子の母)から
      あんたを受け取って、(しかも汽車の窓ごしに)石巻まで連れてきたことがあって
      「奥さんに先立たれた方ですか」って汽車の中でいわれたんだと

節子 : それからが大変だった。オシメとミルクを買いに走ったわ。

タミ  : 勤さんは体の弱い人で、苦しんで亡くなった。
      石巻病院に入院しているときは毎朝毎晩 スープを持って行ったよ。


勤おじいさんは、孫としては久仁子一人だけを見ました。
亡くなった勤さんをタミさんは抱きながらタクシーで家に帰ってきたそうです。

タミ  : 「私はね、我慢強いの。」


あっぱれなタミさんでした。


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